名古屋大学大学院工学研究科 応用物質化学専攻 理論計算化学分野 岡崎研究室

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Ⅰ.溶液中の分子集団系の全原子モデルによる
  分子動力学シミュレーション

 溶液や生体物質などの複雑な凝集分子系に対し、分子シミュレーションの計算化学的手法により、分子の構造や運動といった微視的描像を解明する研究を行っています。大きく分けて3つの計算手法: 全原子モデルによる古典力学系の分子動力学(Molecular Dynamics:MD)シミュレーション、マルチスケールモデリングによる分子シミュレーション、核の運動が量子化されている量子動力学シミュレーション、により研究を展開しています。また、スーパーコンピュータプロジェクトの関係で、64万コアにも及ぶ京コンピュータの性能をフルに活用できる大規模計算用MDソフトウェアの開発も行っています。

1. ウイルスおよびウイルス-レセプター相互作用の分子論

 ウイルスに関する研究は、従来はマクロな微生物学による実験研究により進められてきましたが、当研究室では計算化学によるウイルス研究へと展開すべく、ウイルスの丸ごとの全原子シミュレーションに取り組んでいます。口蹄疫ウイルスや小児マヒウイルスは直径約30 nmの小型のウイルスであり、環境となる水を含めても約1,000万個の原子で構成されています。この規模の系を分子動力学計算により扱うには超大規模計算が必要であり、京コンピュータなどの現在の最高性能のスパコンと当研究室で開発した優れた超高並列ソフトウェアMODYLASを用いることにより丸ごとシミュ レーションが可能となりました。図は京コンピュータを使って計算した小児マヒウイルスカプシドとウイルスレセプター蛋白質のスナップショットです。これまで全く未知であった水中におけるウイルスの分子構造とその熱揺らぎ、熱安定性の構造的特徴の解明に取り組んでいます。そしてさらには、感染の初期過程であるウイルスとレセプター間の特異な分子相互作用、つまりウイルスの認識過程を全原子模型による自由エネルギー計算から定量的に記述しようと研究を進めています。今後は医学的にもより重要なB型肝炎ウイルスなどに対する抗ウイルス薬開発に関連する研究も計画しています。このような大規模な計算は、最高性能のスパコンとソフトウェアを用いて初めて可能となる世界でも初めての試みです

ウイルスの全原子シミュレーション。(図左)4個のタンパク質で構成されるユニットが60個(合計240個のタンパク質)集まって正二十面体構造をとり、ウイルスの殻であるカプシドを形成する。(図左)カプシドを透過した水分子のストロボショット。

2. 正常および癌化の生体膜の物性および薬剤透過性

 ○正常および癌化の生体膜

水中において脂質分子により形成される脂質二重層膜に対する計算化学的研究により、特に正常細胞膜と癌化細胞膜の膜物性や薬剤透過性の解明に取り組んでいます。図に示しているのは、マウスのリンパ球細胞の形質膜で、左が正常細胞、右が癌化した細胞ですが、リンパ球の場合、癌化した細胞では細胞膜の構造がより乱れ、流動的になるということがシミュレーションから見出されてきています。また、このような膜を横切る分子の透過、つまり薬剤の透過、吸収等についても、自由エネルギープロフィール計算による解析を行っています。さらには、細胞の単純モデルであるリポソームは数百万原子という非常に大きな系で 構成されますが、この大規模系への展開にも着手しようとしているところです。

マウスのリンパ球細胞膜のMD計算。(左)正常細胞、(右)癌化細胞。癌化に際して、明らかに細胞膜の構造は正常細胞の細胞膜よりも乱れており、流動性も高くなっていることが示されている。


 ○膜チャネルタンパク質の選択的な物質透過の分子論

 細胞膜は膜内外の区画境界を提供し,基本的に物質(分子)の自由な透過・輸送を妨げます.細胞膜の機能として選択的に分子を透過させたり汲み出したりもしますが,それ以外の場合でも膜のシールド能力には限界があり,分子の“漏れ”が生じています。膜を横切る低分子透過に関する分子メカニズムの解析や透過係数の計算にはこれまでに多くの研究がなされてきています。我々もこれまでにいくつかの自由エネルギー計算手法を開発し、脂質種の変更による透過係数の変化を定量することに成功しています(ex. J. Phys. Chem. B, 2011)。また,低分子だけでなく,より大きな分子の透過にも使える計算手法の開発を目指しています。この場合は,脂質膜側の構造変化も重要となりますので,それらを考慮できるシミュレーション手法が必要となります。膜透過は薬物の浸透など,応用に関しても重要な課題が関係しています。
また,膜タンパク(チャネル)を介しての選択的な物質透過の分子論的なメカニズムの解明も重要なテーマと位置づけています。

DPPC脂質二重層膜を横切る水分子の感じる自由エネルギー障壁 (J. Comp. Chem. 2008)


 ○膜物性評価手法の開発

脂質分子の分子構造と分子集合体である膜の物性の関係を明らかにすることは,分子シミュレーションの目的の一つです。膜物性の解析によって,メソスケールでの振る舞いを記述する連続体モデル(多くの場合Helfrichによる弾性理論モデル)で使用される物理パラメータを正確に求められれば,光学顕微鏡レベルで観測されるベシクルなどの振る舞いを定量的に予測することが可能となると期待されます。また,実験で観測される物理量を比較することにより,分子シミュレーションで用いる分子モデルの妥当性の確認にもなります。このような理由で,膜の表面張力,線張力,曲げ弾性係数,面積圧縮率,自発曲率などを精密に測定する分子シミュレーション手法を開発しています。このような活動の一例として,Irvin-Kirkwoodの定義に基づく局所ストレスの計算をもとにガウス弾性係数を計算しました。この解析を球座標系においても実現しており,ベシクルのような球対称な分子集合体の局所ストレスの解析を可能としました(J. Chem. Phys, 2011,2013)。この他,膜の各種変形に対する自由エネルギー変化の評価によって,様々な膜物性定数を調べています。このような研究活動は後述するマルチスケールシミュレーションの確立に向けて,その理論を構築するための基礎データを与えるという重要な意義を持っています。

外部ポテンシャル(黒)により誘起された膜変形.力と曲げの関係から曲げ弾性係数が求められる
(J. Chem. Phys. 2013)


3. ミセルの構造、生成、可溶化の分子論

 ミセルは親水部と疎水部を合わせ持つ両親媒性分子の分子集合体であり、石けん、化粧品、薬品、インク、香料、食品など工業的に幅広く利用されています。当研究室では分子動力学シミュレーションを用いることにより、イオン性、非イオン性の両親媒性分子が水溶液中に生成する球状ミセルに対し、(1)水溶液中でのミセル生成のシミュレーションを行い、その分子描像とダイナミクスを明らかにしようとしています。 また、(2)自由エネルギーおよび界面張力に基づいてミセルの構造安定性がどこから来るのか検討を進めてきています。 さらに、(3)本来は水に溶けない薬剤や香料、色素などの不溶性分子もミセルの疎水核中に取り込まれることにより可溶化しますが、それがどのようにして起こるのかについて、分子機構の解明に取り組んでいます。

SDSミセル生成のシミュレーションのスナップショット図および自由エネルギーモデル。


4. 創薬に関わる膜タンパク質-薬剤の結合自由エネルギー

 創薬開発において、薬剤とタンパク質との結合を分子レベルで定量的に評価できれば、より効能の高い薬剤の設計をより高効率に行うことが可能になります。当研究室では、分子動力学法を用いた薬剤-タンパク質の結合自由エネルギーの計算手法の確立を試みています。この計算を用いることにより、働きを阻害したいタンパク質や逆に阻害してはいけないタンパク質と薬剤との結合のしやすさを評価することにより、薬剤による効能・副作用のメカニズムを分子レベルで研究しています。


5. リチウムイオンバッテリー開発に関わるイオン液体の構造および動力学解析

 Li-Glyme錯体を用いたイオン液体を電解質に用いたリチウムイオンバッテリーの開発支援のため,構造や動的な性質の解析を行っています。リチウム輸送機構の解明やIonicityの分子論的な理解を目指しています。

MDで観測されたグライム錯体の様々な構造(アニオンの選択によって安定な錯体(左)が得られる)

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